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ZFCのことを初めて知ったとき、empty set をスタートとして、そこから自然数を作っていく構成にちょっと感動した覚えがあります。つまり empty set という、そこからは何も取り出せない、しいていえば「無という状態」みたいな概念から、 { empty set } という、無という状態自体を一つのものと見なすという考えは衝撃的でした。まずは無 (0) であって、次に「無が一個あるよ!」と見なして "1" を構成するというのは、凄い発想の転換だ! と個人的には感じてました……。なので、この辺が理解できない人の気持ちもちょっとだけ分かります。あ、もちろん、ZFC での自然数の構成はあくまで記号操作というか自然数を集合論の言葉にコーディングしているだけなので、コメント前半部分は変な発言になってしまってますが、ええと、それは素朴な解釈ということで……。
Fuさんこんにちは。私は学生時代ブルバキの集合論から数学の勉強を始めたのですが、自然数の定義は空集合から構成する方法でした。やはり emptyset を 0 と定義し {emptyset} を 1 と定義する方法には驚いた記憶があります。ただし、当時は順序数の知識がなかったので、この構成を超限的に繰り返す考え方は知らず、本当の良さが分かったのは最近のことです。私自身特に意識していなかったのですが、Fuさんがご指摘された通り、「無という状態自体を一つのものと見なす」ことは存外難しい発想なのだと思います。考え過ぎてしまう人がはまってしまう気持ちも少し理解できたかも知れません。もちろん本文に書いたことが本当の理由なのかは、今となっては永遠の謎なのですが。というわけで、コメントありがとうございました。
少し考えたのですが、そのご友人にとって、・数学的対象は、集合と集合以外の対象に排他的に分かれていて・「aはbの元である」と言えば、「a」は集合以外の対象かつ、「b」は集合というようになっているとすれば、説明がつくような気がします。これら2点を認める立場(?こういう考え方の上で、数学を展開できて、かつ簡単には矛盾が見つからないようにできるかは謎です?)にたてば、\emptyset にも、{\emptyset} にも、元は存在しないので、外延性(みたいなもの)によって、同じだと言えるのでしょう。…という説明は、べき集合が謎になるという一大欠点を持っているのですが、そのご友人にとってべき集合が謎か否かは、よくわかりません。そのご友人は数学がすごーくできるので、自然数とか実数とか複素数とかとかとかは、集合論で基礎づけしなくても存在が明らかな対象に思えているんじゃないかなー、と推察します。
ぴらぴらさん、こんにちは。明けましておめでとうございます。さすがにねたにされた人はそこまで考えていないと思います。外延の考えが分からないので本文のような感じになるので、逆にご指摘の考え方をした場合 φ は集合以外、{φ} は集合なので区別しやすいのではないかと思います。自然数についてはもちろん、実数の存在については、数直線や無限小数展開の直感があるので、私自身正式に数学を勉強するまで、疑問に思うことを思うことさえしませんでした。数学を集合論の枠組みで行うのが非常に便利で多産であるということは、よほど数学に興味がある人以外は知らないと思います。ご存じかとは思いますが、空集合以外の原子 (atom) を追加した ZF 類似の体系は作ることが可能です。たぶん (文献を忘れたのでいまいち自信なしです)。もちろん外延性の公理は「集合にのみ成立する」という制約がつきます。他にも色々制約があるのかも知れません。原子が外延性の公理により区別できないことを利用して、その理論上で「選択公理が成立しない」ことを示し、ZF と選択公理の否定が整合的であることの証明に「あと一歩」という感じになったらしいです。たぶん。類似の状況を ZFC 上のモデルとして作ったのがコーエン実数を追加する手法 (http://evariste.jp/kagami/diary/0000/200705.html#20070503-1) です。類似といっても単なる感じで、別に atom を追加したわけではないのはもちろんです。あ、もし集合論もしくは集合論に近い分野を専攻されていましたら、まことに失礼しましたということで。今回はコメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
かがみさん、そういえばご挨拶もしてませんでした。よろしくお願いします。基礎の公理が無ければ、アトムを言語に追加しても大丈夫、かな。この話題が気になったのは、教えるときには、自分が正しく理解しているだけではなく、誤解している理由を察知して根本原因を突けると、いいのかな、と思っているからです。集合論ではないですがTA役をすることがありまして。そのかたって、{3}と{{3}}の違いもわからなくて、3が{{3}}の元だと思っているのではないかという気がしたのでした。ついでにもしかすると、{3}が{{3}}の元だとは思っていないのではないかという気がしたのでした…というわけで、最初のコメントのようなことを書いたわけです。頭の中で勝手にモナドになってるんじゃないかということです。あまりこだわっても仕方ないので、すみません。
「基礎の公理が無ければ、アトムを言語に追加しても大丈夫」←ぜーんぜん駄目ですね。やれやれ。1. 言語に定数記号を追加することと、モデルにatomを追加することは、違うし2. 外延性公理がある限り、元を持たないものはみんな空集合だしおよよよ。
ZFCのことを初めて知ったとき、empty set をスタートとして、そこから自然数を作っていく構成にちょっと感動した覚えがあります。
つまり empty set という、そこからは何も取り出せない、しいていえば「無という状態」みたいな概念から、 { empty set } という、無という状態自体を一つのものと見なすという考えは衝撃的でした。
まずは無 (0) であって、次に「無が一個あるよ!」と見なして "1" を構成するというのは、凄い発想の転換だ! と個人的には感じてました……。
なので、この辺が理解できない人の気持ちもちょっとだけ分かります。
あ、もちろん、ZFC での自然数の構成はあくまで記号操作というか自然数を集合論の言葉にコーディングしているだけなので、コメント前半部分は変な発言になってしまってますが、ええと、それは素朴な解釈ということで……。
Fuさんこんにちは。
私は学生時代ブルバキの集合論から数学の勉強を始めたのですが、自然数の定義は空集合から構成する方法でした。やはり emptyset を 0 と定義し {emptyset} を 1 と定義する方法には驚いた記憶があります。ただし、当時は順序数の知識がなかったので、この構成を超限的に繰り返す考え方は知らず、本当の良さが分かったのは最近のことです。
私自身特に意識していなかったのですが、Fuさんがご指摘された通り、「無という状態自体を一つのものと見なす」ことは存外難しい発想なのだと思います。考え過ぎてしまう人がはまってしまう気持ちも少し理解できたかも知れません。もちろん本文に書いたことが本当の理由なのかは、今となっては永遠の謎なのですが。
というわけで、コメントありがとうございました。
少し考えたのですが、そのご友人にとって、
・数学的対象は、集合と集合以外の対象に排他的に分かれていて
・「aはbの元である」と言えば、「a」は集合以外の対象かつ、「b」は集合
というようになっているとすれば、説明がつくような気がします。
これら2点を認める立場(?こういう考え方の上で、数学を展開できて、かつ簡単には矛盾が見つからないようにできるかは謎です?)にたてば、
\emptyset にも、{\emptyset} にも、元は存在しないので、外延性(みたいなもの)によって、同じだと言えるのでしょう。
…という説明は、べき集合が謎になるという一大欠点を持っているのですが、そのご友人にとってべき集合が謎か否かは、よくわかりません。
そのご友人は数学がすごーくできるので、自然数とか実数とか複素数とかとかとかは、集合論で基礎づけしなくても存在が明らかな対象に思えているんじゃないかなー、と推察します。
ぴらぴらさん、こんにちは。明けましておめでとうございます。さすがにねたにされた人はそこまで考えていないと思います。外延の考えが分からないので本文のような感じになるので、逆にご指摘の考え方をした場合 φ は集合以外、{φ} は集合なので区別しやすいのではないかと思います。自然数についてはもちろん、実数の存在については、数直線や無限小数展開の直感があるので、私自身正式に数学を勉強するまで、疑問に思うことを思うことさえしませんでした。数学を集合論の枠組みで行うのが非常に便利で多産であるということは、よほど数学に興味がある人以外は知らないと思います。
ご存じかとは思いますが、空集合以外の原子 (atom) を追加した ZF 類似の体系は作ることが可能です。たぶん (文献を忘れたのでいまいち自信なしです)。もちろん外延性の公理は「集合にのみ成立する」という制約がつきます。他にも色々制約があるのかも知れません。原子が外延性の公理により区別できないことを利用して、その理論上で「選択公理が成立しない」ことを示し、ZF と選択公理の否定が整合的であることの証明に「あと一歩」という感じになったらしいです。たぶん。類似の状況を ZFC 上のモデルとして作ったのがコーエン実数を追加する手法 (http://evariste.jp/kagami/diary/0000/200705.html#20070503-1) です。類似といっても単なる感じで、別に atom を追加したわけではないのはもちろんです。あ、もし集合論もしくは集合論に近い分野を専攻されていましたら、まことに失礼しましたということで。
今回はコメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
かがみさん、そういえばご挨拶もしてませんでした。よろしくお願いします。基礎の公理が無ければ、アトムを言語に追加しても大丈夫、かな。
この話題が気になったのは、教えるときには、自分が正しく理解しているだけではなく、誤解している理由を察知して根本原因を突けると、いいのかな、と思っているからです。集合論ではないですがTA役をすることがありまして。
そのかたって、{3}と{{3}}の違いもわからなくて、3が{{3}}の元だと思っているのではないかという気がしたのでした。ついでにもしかすると、{3}が{{3}}の元だとは思っていないのではないかという気がしたのでした…というわけで、最初のコメントのようなことを書いたわけです。頭の中で勝手にモナドになってるんじゃないかということです。
あまりこだわっても仕方ないので、すみません。
「基礎の公理が無ければ、アトムを言語に追加しても大丈夫」←ぜーんぜん駄目ですね。やれやれ。
1. 言語に定数記号を追加することと、モデルにatomを追加することは、違うし
2. 外延性公理がある限り、元を持たないものはみんな空集合だし
およよよ。