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一応、薬絶ちしてもう長くはなります。(相当昔の話ですが、メジャートランキライザーを服用していました。)さてデパスですが、服用して当初、無茶苦茶相性が良かったです。しかし、数年すると(つまり病状が改善すると)相性が悪くなりました。あれが耐性というか依存というものかと思っています。今は、寝られないのではなしに、どうしても8時間くらいぐっすり寝たい時にのみ飲むことがあります。(不眠は一切なく、むしろ、寝つきが良すぎるのと、結構短時間の睡眠で体がもつことが不思議にすら感じられます。)セルシンについては、相当相性が良かったですし、また、一般にそうだと言われていますが、長期服用して、相性が悪くなったという人を知っています。そもそも、最初の病状の重さという点で、私のほうが桁外れに重かったであろうというのが、まずはありますが、私の場合は、兎に角、気分が悪くなった時は、減量したら上手くいくことが圧倒的に多かったです。あと、服用履歴や行動や気分をメモ帳に書いておくと、「この薬どうすべか?」と迷ったとき、分析して判断するかなり強力な材料になりました。と、一応書かせていただきましたが、何かのご参考の一つにでもなればいいのですが、さてさて。人によって、薬と心身の関係って、かなり違うようですから・・・。(それから、何がしかレスを書くのが面倒臭かったら、スルーしてくださって全然結構です。そもそも、かがみさんにとって、私が全く有益なことを書いていない可能性すらありますし。)
ぷっつん大吉さんこんにちは。学生時代のパニック障害の治療で当時の色々なマイナートランキライザーを処方されたのですが、古典的すぎたせいか、その時はセルシンを処方してもらえず余り効果がありませんでした。だめじゃん東北大医学部。そんな状態が一年くらい続き、歩いていたらかなり強烈は心臓パニックになり、飛び込んだお医者さんのところでセルシンを処方してもらい、これが相性が良かったみたいで、薬を飲んでいる分にはパニックを起こさないようになりました。その後福島県で高校教員の生活を始めたのですが、すぐに症状が悪化しました。一回に十錠位薬を飲むという生活とか、バルビツール酸系の睡眠薬中毒とか色々ありました。その頃が一番危なかったというかよく死ななかったと思います。結局福島県での教員生活は破綻して、しっかり一人半の子供はいたのですが、プログラマーでやり直そうということで東京に出てきたのです。プログラマーの仕事は最初全然できなくて大変だったのですが、学校の先生よりはストレスが少ないみたいで、強烈は薬物中毒状態に戻ることはなかったと思います。現在は、依存・中毒と言われればそれはそうなのですが、この二十年以上セルシンとデパスで特に量も増えず安定して て、出来は良くありませんが三人の子供を育てる責任もほぼ果たしたと思うので、もう無理しないでも良いかなと考えています。
かがみさん、これは大変失礼いたしました。私を上回るキャリアをお持ちのご様子で、もう十二分に病との付き合い方はご存じのようですね。はやしさんのところなどに何度か書いてはおりますが、私は統失でした(あるいは、今でも、統失なのかも??)。寛解(そして断薬)後10年以上安定しており、もう治癒の域に達したとは思いますが、実は、陽性症状が少々残っており、それについては、完全に鹿十しつつも、結構面白くすらあるので適当に遊んでやっております。何より潰れた当初は私も大変でした。今更ながら、あれでよく会社を辞めずにすんだと思います。ではでは、失礼をば致しました。
「数学やる気しないとか、」 私の常態ですが 「すぐ会社休みたくなるとか」 私の常態ですが 「憂うつとか」 私の常態ですが 「死にたくなるとか」 さすがにそれはない。ちなみに、精神科の医者にかかったことはありません。鬱だとしても別に治さなきゃいけないなんて思わない。全てのことは運命だと思っている。パニックですか?ああ、そういうこともありますよ。でも、仕方ないですね。薬で治るんだなんて考えたこともないし。いいんじゃないですか?人間はいつか死ぬし。もともと生まれる前は死と同じだから、別に不幸でもなんでもないですよ。
私が薬に頼るのは「私の場合」その方が楽だからです。病院に行く判断基準は行ったほうが自分が楽になるという観点のみです。例えばインフルエンザの高熱は「私の場合」頭がもうろうとして非常なる快感なので病院には行きません。というか高熱直後は必ずうつ的な症状良くなるし。病気で死んでしまうとか、事故で死んでしまうとか、全部運命だと思っています。ただし運命とはいっても家内や子供が苦労しそうなので今は死にたくないです。
一応、薬絶ちしてもう長くはなります。(相当昔の話ですが、メジャートランキライザーを服用していました。)さてデパスですが、服用して当初、無茶苦茶相性が良かったです。しかし、数年すると(つまり病状が改善すると)相性が悪くなりました。あれが耐性というか依存というものかと思っています。今は、寝られないのではなしに、どうしても8時間くらいぐっすり寝たい時にのみ飲むことがあります。(不眠は一切なく、むしろ、寝つきが良すぎるのと、結構短時間の睡眠で体がもつことが不思議にすら感じられます。)セルシンについては、相当相性が良かったですし、また、一般にそうだと言われていますが、長期服用して、相性が悪くなったという人を知っています。そもそも、最初の病状の重さという点で、私のほうが桁外れに重かったであろうというのが、まずはありますが、私の場合は、兎に角、気分が悪くなった時は、減量したら上手くいくことが圧倒的に多かったです。あと、服用履歴や行動や気分をメモ帳に書いておくと、「この薬どうすべか?」と迷ったとき、分析して判断するかなり強力な材料になりました。と、一応書かせていただきましたが、何かのご参考の一つにでもなればいいのですが、さてさて。人によって、薬と心身の関係って、かなり違うようですから・・・。(それから、何がしかレスを書くのが面倒臭かったら、スルーしてくださって全然結構です。そもそも、かがみさんにとって、私が全く有益なことを書いていない可能性すらありますし。)
ぷっつん大吉さんこんにちは。学生時代のパニック障害の治療で当時の色々なマイナートランキライザーを処方されたのですが、古典的すぎたせいか、その時はセルシンを処方してもらえず余り効果がありませんでした。だめじゃん東北大医学部。そんな状態が一年くらい続き、歩いていたらかなり強烈は心臓パニックになり、飛び込んだお医者さんのところでセルシンを処方してもらい、これが相性が良かったみたいで、薬を飲んでいる分にはパニックを起こさないようになりました。その後福島県で高校教員の生活を始めたのですが、すぐに症状が悪化しました。一回に十錠位薬を飲むという生活とか、バルビツール酸系の睡眠薬中毒とか色々ありました。その頃が一番危なかったというかよく死ななかったと思います。結局福島県での教員生活は破綻して、しっかり一人半の子供はいたのですが、プログラマーでやり直そうということで東京に出てきたのです。プログラマーの仕事は最初全然できなくて大変だったのですが、学校の先生よりはストレスが少ないみたいで、強烈は薬物中毒状態に戻ることはなかったと思います。現在は、依存・中毒と言われればそれはそうなのですが、この二十年以上セルシンとデパスで特に量も増えず安定して て、出来は良くありませんが三人の子供を育てる責任もほぼ果たしたと思うので、もう無理しないでも良いかなと考えています。
かがみさん、これは大変失礼いたしました。私を上回るキャリアをお持ちのご様子で、もう十二分に病との付き合い方はご存じのようですね。はやしさんのところなどに何度か書いてはおりますが、私は統失でした(あるいは、今でも、統失なのかも??)。寛解(そして断薬)後10年以上安定しており、もう治癒の域に達したとは思いますが、実は、陽性症状が少々残っており、それについては、完全に鹿十しつつも、結構面白くすらあるので適当に遊んでやっております。何より潰れた当初は私も大変でした。今更ながら、あれでよく会社を辞めずにすんだと思います。ではでは、失礼をば致しました。
「数学やる気しないとか、」 私の常態ですが 「すぐ会社休みたくなるとか」 私の常態ですが 「憂うつとか」 私の常態ですが 「死にたくなるとか」 さすがにそれはない。
ちなみに、精神科の医者にかかったことはありません。鬱だとしても別に治さなきゃいけないなんて思わない。全てのことは運命だと思っている。パニックですか?ああ、そういうこともありますよ。でも、仕方ないですね。薬で治るんだなんて考えたこともないし。いいんじゃないですか?人間はいつか死ぬし。もともと生まれる前は死と同じだから、別に不幸でもなんでもないですよ。
私が薬に頼るのは「私の場合」その方が楽だからです。病院に行く判断基準は行ったほうが自分が楽になるという観点のみです。例えばインフルエンザの高熱は「私の場合」頭がもうろうとして非常なる快感なので病院には行きません。というか高熱直後は必ずうつ的な症状良くなるし。病気で死んでしまうとか、事故で死んでしまうとか、全部運命だと思っています。ただし運命とはいっても家内や子供が苦労しそうなので今は死にたくないです。